The Structure of "After School Saicoro Club" #3

ということで、今後この漫画に期待する点や、#2で書き漏らした点などをつれづれと。


1) ゲームよもやまばなし
この漫画に協力している『すごろくや』の店長、丸田氏のコラムが5本掲載されていますが、
これが何気に素晴らしい出来です。
物を売ろうとするなら、その物の何がウリかを伝える必要がある訳で。
放課後さいころ倶楽部』の良い点の一つに「楽しい」の演出があると#2で書きましたが、
その辺りはコラムにも踏襲されています。
すごろくやのブログでもゲーム紹介の記事があるので、
それと比較してみるのも面白いかもしれません。
ブログの記事でも「ここがオススメ」という風に、ちゃんとどこが面白いか書いてあるんですよね。


このブログは漫画の面白さをきちんと伝えてるとは言いがたいので、自戒を込めて書きます。
(そもそも、漫画の面白さを伝えるのが目的のブログでは無いんですけども)

ねことねずみの大レース / Viva Topo! 【正規輸入品】

ねことねずみの大レース / Viva Topo! 【正規輸入品】

 意外と実力派のゲーム内容ではありますが、ねことねずみとチーズというわかりやすいテーマで、食べられてしまったり間一髪で逃げられたりとドラマチックな展開を見せるため、小さな子供でも終始楽しく遊べます。また、成長とともにこのゲームに込められている様々なエッセンスに気づいていくことでしょう。2003年度のドイツキッズゲーム大賞受賞も納得のタイトルです。
放課後さいころ倶楽部』 1巻 p141 「すごろくや」丸田康司

この文章一つ取っても、ウリが明確に表現されてるんですよね。
ドラマチックな展開が面白い。
子供でも楽しめる。
成長すると他の楽しさに気づく。 (≒ 子供用に限ったゲームではない。 ≒ 大人でも楽しめる)
最後に権威。
なるべくシンプルにゲームを描こうとしてる漫画なので、
このコラムは漫画に盛り込めなかった要素をきちんと補完してると言えるでしょう。
ちなみに「すごろくや」の『ねことねずみの大レース』記事はコチラ


2) 女の子が案外微妙

ただまー、個人的には中道先生の描くオッサンは超絶カッコいい割には女の子はちょっと微妙だったので、
その辺りどうかなぁという不安はあります。まぁ肝心なのは中身ですけども。

連載前から懸念を抱いていたんですが、不安的中となりました。
キャラクターの、性格的なものに関してはほぼ文句無しなんですが、
やはり外見的には可愛らしさが足りないかなぁと。
...正直、絵が描けない人間が何書いても説得力ありませんがw
そもそも、この辺りは好みの問題でもあるので、何が正解だとは本来言えません。
でもあえて書きます。


前作『月の蛇』では女性キャラは3人出てましたが (mobと巻末漫画除く)
個人的に玲綺はどストライク、扈三娘はまーまー、ヒロインの翠華は微妙でした。
『月の蛇』 7巻 p6 中道裕大

ボーイッシュ好きという私の好みがあるのは否定しませんけど、
それを割り引いても 玲綺≧扈三娘>翠華 なんじゃないかなぁと。
『月の蛇』 6巻 p38 中道裕大

左がヒロインの翠華、右が扈三娘です。
ボーイッシュ好きという私の好みがあるのは否定しません。 (大事な事なので2回書きました)
それを割り引いても、ボーイッシュなキャラの魅力に比べ、
翠華の魅力が落ちるんじゃないかと、客観的に見てそう思えます。
『月の蛇』 5巻 p100 中道裕大

全7巻中、このシーンだけは翠華も可愛いんですけどねぇ。


放課後さいころ倶楽部』 1巻 p89 中道裕大

『月の蛇』翠華や『さいころ』の女子3人+α (アヤ姉) は
『月の蛇』の玲綺や、『月の蛇』『さいころ』共におっさんキャラが素晴らしいだけに、
もうちょっと可愛らしく出来ないものかと思ってしまうんですよね。
現状、『さいころ』におけるボトルネックがあるとすればココでしょう。


まー個人的には面白ければこの辺りはあまり気にしないんですけど、
売上やアンケートには確実に響いて来ますから、無視するって訳にもいきません。


一般的にみれば、キャラが可愛くない一番の原因は瞳の描き方である事が多いと思うのですが、
中道先生の場合にはそれは当てはまらないのではないかと。
放課後さいころ倶楽部』 1巻 p89 中道裕大

宮田婦人なんかは綺麗に描けてますし。


じゃぁ何が原因なのか。
あくまで私の仮説ですが、個人的には輪郭が原因かなぁと考えています。
銀塩少年』 1巻 p20 後藤隼平

銀塩少年』 4巻 p157 後藤隼平

※注:どちらも『銀塩少年』のヒロイン、ミライです。
ごとう先生の初連載作品の最初と最後を比べてみて、
最後の方が可愛らしく描けてるのは当然ですが、
瞳の描き方やミリペンから丸ペンへの変更等の違いよりも、
一番目立つのは輪郭だと思います。


外見の可愛らしさとは何か。
小難しい言葉を使うと、「幼児の図式」だと考えています。
モーレツ! 科学教室 ごぶさたスペシャル 講義1 「幼児の図式」

モーレツ! 科学教室 ごぶさたスペシャル 講義2 「ネオテニー

分かりやすく言えば、子供っぽさ。
具体的には瞳を大きく、輪郭は丸く。主にこの2つです。
中道先生の描くオッサンは超絶格好良く、ボーイッシュや綺麗な女性も素晴らしいのに、
可愛くしたい女の子がイマイチ可愛らしい感じにならないのは、
放課後さいころ倶楽部』 1巻 p51 中道裕大

オッサンの輪郭はやたらとリアルに描きつつ、
女の子 (と田上) はデフォルメしつつも、丸みがまだ足りないからではないかと。
故に、ネオテニー (neoteny 幼形成熟) 的進化をする必要があるのではないか。
まぁ田上は丸み持たせる必要無いでしょうけども。
念を押しますけど、あくまで仮説です。これが正しいという保証はありません。


『ツール・ド・本屋さん』 2巻 p185 横山裕二

ネオテニー的進化がこの漫画の解かどうかは分かりませんが、
ネオテニー的進化は漫画においても効果アリってのは、この画像からも明らかではないかと。
目つきがこれだけ厳ついオッサン市原編集長でもこうなりますから。


てな事を考えてたら、別の意見が。



DHA @GRGR_ より具体的に言うと、綾の髪型が気になります。 link


DHA @GRGR_ 後頭部にボリュームが無くて、角度によってすごく頭が小さく見えたり、上部のシルエットがハゲに見えたりという印象。 link


DHA @GRGR_ 髪がふわふわしていれば、かなり誤魔化せるはずなんです。絵を描いてる経験から言わせて貰っても。ツインテも、初音ミクのような上ではなく、下で縛っているのでシルエットとしてよくないように思います。 link
ボーイッシュ or メガネ好きだからアヤはミキやミドリより個人的に微妙だと思考停止してたんですけど、 これも言われてみれば確かに髪型にも問題がありそうです。 放課後さいころ倶楽部』 1巻 p18 中道裕大 角度が変わることでイメージが変わるってのは、『へうげもの』的に言うと「乙」ではあるのですが、 下手すりゃ悪化するってのはちと問題なのかもしれません。 イラスト DHA いやー、絵描ける人が言うと説得力がありますねw で、ツインテールだとどうなるか。 ここまで変わると別のキャラになっちゃいますが、 分かりやすくはなってるんじゃないかと。 3キャラの人気がどういう順番になってるのかは分かりませんが、 アヤの人気が微妙なら、髪型を変えるのも手かもしれませんね。 あと、重箱の隅ですけど、 放課後さいころ倶楽部』1巻 p123 中道裕大 青ざめる描写と頬を染める描写の違いが誤差のレベルなのは何とかならんもんですかね... どちらも単に頬を描いてるのかもしれませんけども。どうなんでしょ? 3) 今後の展開 今後の展開について、期待を込めてつれづれと。 a) 短編から長編へ

──やはりルールが簡単なほうが描きやすいと。


そうですね。基本的にルールはひとつかふたつで済むゲームを選んでるんですけど、やっぱり少しルールが多いものでも、有名なタイトルはたくさんあって。これからはそれも描くようにしたいとは思います。
コミックナタリー「放課後さいころ倶楽部」中道裕大インタビュー

間口が広いのがこの漫画の良い面だと#2で書きましたが、
いずれゲームを深く掘り下げる必要が出てくるでしょう。
1巻まるごと一つのゲームに費やすくらいに。
とは言っても少しづつ長くしていくでしょうし、カラーもらえた時には分かり易いゲームを選ぶといった風に、
色々考えながら、探りながらやっていくでしょうし、
「楽しい」をいかに伝えるかといった所さえブレなければ心配する必要は無いと思います。
作者が一番やりたいのは『カルカソンヌ』なんでしょうねw


b) コミュニティ

 社会関係資本の形式の多様性のあらゆる次元の中で、最も重要なのはおそらく、「橋渡し型 ブリッジング」(あるいは包含型)と、「結束型 ボンディング」(あるいは排他型)の区別であろう。社会関係資本の形態の中には、メンバーの選択やあるいは必要性によって、内向きの指向を持ち、排他的なアイデンティティと等質な集団を強化していくものがある。結束強化型の社会関係資本の例としては、民族語との友愛組織や、教会を基盤とした女性読書会、洒落たカントリークラブなどがある。一方で外向きで、さまざまな社会的亀裂をまたいで人々を包含するネットワークもあり、その中には公民権運動、青年組織、世界教会主義 エキュメニカル の宗教組織などがある。
 結束型の社会関係資本は、特定の互報性を安定させ、連帯を動かしていくのに都合がよい。例えば、少数民族集団 エンクレーブ において見られる密なネットワークは、コミュニティの中の比較的恵まれていないメンバーにとって、決定的に重要な精神的、社会的支えとなり、また同時に地域の起業家にとっては、事業立ち上げの財産、市場、そして信頼できる労働力を供給するものとなる。
 橋渡し型のネットワークは対照的に、外部資源との連繋や、情報伝播において優れている。経済社会学者のマーク・グラノベッターが指摘したのは、職探しの場面−−あるいは政治的な同盟関係−−において、「弱い」つながりが、自分と遠く離れており、自分と異なるサークルの中で動く知り合いを結び付けることによって、「強い」つながりによって結び付く、社会学的な居場所 ニッチ が自分のそれとよく似た親類や親密な友人よりも実際には有価値となるということであった。ザヴィア・ド・ソーザ・ブリッグスの表現によれば、結束型社会関係資本は、「なんとかやり過ごす ゲッティング・ハイ」のに適し、橋渡し型社会関係資本は、「積極的に前へと進む ゲッティング・アヘッド」のに重要である。
 加えて、橋渡し型の社会関係資本は、より広いアイデンティティや、互酬性を生み出す事ができ、結束型社会関係資本によって強化される自己が、より狭い方向に向かうのとは対照的である。
(中略)
 結束型社会関係資本が、社会学的な強力接着剤なら、橋渡し型社会関係資本社会学的な潤滑油 WD-40 である。


『孤独なボウリング』 p19-20 Robert D Putnam 著 柴内康文 訳 柏書房
注:原文でフリガナの箇所は直後に半角カナ・英で表記

さんざんこのブログでコミュニティを描写することが大切と書いてますが、
社会関係資本 (コミュニティもこの一つ) の分類の中でも重要なのが「橋渡し型」「結束型」です。
アナログゲームは『人生ゲーム』『モノポリー』『UNO』など、一般にも受け入れられたゲームもありますが、
基本的には「結束型」コミュニティの中で消費されているが故に、ニッチな存在になってます。


放課後さいころ倶楽部ゲッサン2013年8月号 p110 (1巻 p172) 中道裕大

ただ、ルールさえ分かれば、どんな人とでもアナログゲームは楽しめます。
ゲームによっては言葉が通じない相手でさえも。
考えてみれば、そんなコンテンツあまり無いと思います。
それだけ「橋渡し型」になれるポテンシャルは秘めていると言えるでしょう。


例えば私がアナログゲームをやっていたのは、
10年以上前に京大シミュレーション研究会へ京大生でもないのに参加してた頃ですが、
大学のサークルという「結束型」のコミュニティーであるが故の限界があったんですよね。
そして、そこの学生でもないのに参加したくなるほどの「橋渡し型」になるポテンシャルもあったと。
...まぁ私の場合は「マジック・ザ・ギャザリング」のブースタードラフトという餌に釣られたんですがw


ボードゲームのコミュニティーを「結束型」から「橋渡し型」へ転換するにはどうすればいいか。
まず必要になるのば、「場」です。

カワサキ ボードゲームってみんなで集まって遊ぶって所からいくと、
      遊ぶ場所があるって事が重要なんですよね。
山崎    そうですね。元々はそこを担ってたのが大学のサークルであったりとか、
      一般のサークルであったりとか、そういった形の、
      割とどっちかと言うと知り合い同士の寄り合いといった形の...
カワサキ クローズド会みたいな
山崎    そうですね。そういったモノが割とメインだったんですけども。
      ウチみたいに、初めてゲームに触れた人達が「どこでまず触ったらええねん」
      ってなった時に、触れる場所っていうのでご提案させて頂いて、
      有難いことにこの形がまぁまぁ受け入れられつつあるのかなぁと。
      でまぁここからまた新しい内輪というか、輪がまた生まれて、
      またそれが派生してっていう形でどんどん広がってるのは、
      目論んでた通りなんですけど、いい動きであるなぁと。
ボードゲーム研究室! 第86回「祝2周年!キウイゲームズ」 5:54 〜 6:46

ボードゲームが「結束型」の範囲で収まっていたのは、プレイする「場」というボトルネックがあったからで、
それが故にローカルでニッチなものにならざるを得ませんでした。
なので、「さいころ倶楽部」というプレイスペースのあるボードゲーム屋が舞台の中心 (?) なのは
ある意味正しいと思います。


そして『放課後さいころ倶楽部』もアナログゲームの布教に適してるという意味では、
「橋渡し型」への転換の一翼を担ってると解釈もできるのですが、
漫画の中でもそういった「橋渡し」的な演出がある辺りも素晴らしいです。
放課後さいころ倶楽部』 1巻 p86 中道裕大

キャラ漫画なので、まず恋愛が絡んでくるのは当然ですよね。


で、ここからが今後の展開の話になるんですが。
私は『ハヤテ』が大好きなので、どうしてもその方向での要望になってしまうのですが、
キャラの多面性を引き出す方向でキャラを動かして欲しいんですよね。
どういう風にかと言うのは以前The Structure of "Hayate the combat butler"で書きましたが、
「ロールプレイ」「カップリング」「ミスディレクション(ミスアンダースタンド)」の3つです。
ゲームを通じて女の子3人と知り合った人が、さらにゲームを通じて別の人間と知り合う。
ここでゲームがキャラの「橋渡し」をする訳ですが、
その際、キャラ毎の対応の違いによって、よりそのキャラを多面的に描く。
放課後さいころ倶楽部』 1巻 p86 中道裕大

今のところ、その辺りが描かれているのは
ミドリ⇔アヤ、ミドリ⇔ミキ (4話冒頭)、田上⇔ミドリ、田上⇔アヤの関係性くらいですが、
キャラの関係性をもっと描けるようになれば、より面白い漫画になるんじゃないかと思います。
幸い、アナログゲームは『人狼』のようにキャラを演じ (ロールプレイ) たり、
仲間 (カップリング) になったり、情報を隠し (ミスアンダースタント) たりといったゲームもありますから、
こういった演出をする題材に事欠かないと思います。
放課後さいころ倶楽部』 1巻 p28 中道裕大

その上で、特にミキの交友関係の広がりを通じて、彼女の成長...
「より広いアイデンティティや、互酬性を生み出す事ができ」る事を描ければ完璧でしょう。
(互酬性 = お互いに助け合えること)
ミキがアヤの姉、ハナを助けるシーンがありましたが、ああいう感じですね。


そして、その交友関係を広げるためのアナログゲームに必要なのは「場」ですから、
さいころ倶楽部」以外の場も必要になってくるでしょう。
ありきたりですが、学校の部活もそのうちの一つになると思います。
部活動するには人数が5人と担当する教師が必要になってくる訳で、
じゃぁ後一人と教師をどうやって探すか? という話で1本作ることもできるでしょう。


そこで、言葉があまり通じないドイツからの留学生 (女子希望) が来たとかなれば...
個人的に、ボードゲームを扱ってる漫画ですから、
ドイツで地味に売れる可能性を秘めてるんじゃないかと思うんですよね。
なので、ドイツ人が感情移入し易いよう (これも橋渡しです) ドイツ人視点がある方がいいのでは、と。


今はまだ蜘蛛の巣の縦糸を張る段階ですが、
キャラがある程度増えていけば、横糸を張って網にしていく段階へと入っていけると思います。
キャラとキャラとが点から線に、線から面に...
人と人との関係性を築きあげ、その延長上でコミュニティを築いてゆく...
ボードゲーム業界に必要なのはこの「結束型」から「橋渡し型」への転換ですが、
放課後さいころ倶楽部』でもその辺りを描ければ、より面白い作品になると思います。


c) オリジナルゲーム
蛇足になります。
やるとするなら日本のゲーム事情・同人ゲーム事情を扱う時に絡めてって事になるでしょうが、
放課後さいころ倶楽部』のキャラを使ったゲームとか作れないもんですかね?
既存のゲームの権利を買うってのもアリかもしれませんけど。