The Structure of "After School Saicoro Club" #2

twitter中道裕大
The Structure of "Afterschool Dice Club" #1の続きですが、
アチラはインタビューに関する事なので、中身に関してはこの記事だけで十分です。
今後、この漫画に期待する点をいくつか#3で書ければなぁと思ってます。
(ただし、サンデーSの記事を書いた後になります)


この漫画の良さはいくつかありますが
1) キャラがメイン
2) 「楽しい」の演出
3) 駆け引きの面白さ
個人的にはこの3点かなぁと思ってます。


1) キャラがメイン
例えばサンデーSの『今際の国のアリス』、マガジンの『ACMA:GAME』『カイジ』等
ゲームを扱った漫画は挙げればキリがありませんが、アナログゲームに限っても『遊戯王』のように
「演出を派手にする」ことによって地味さをカバーするのが基本です。
逆に、恐らく『咲』のようにキャラに寄せる...
いわゆるキャラ漫画にするというのも一つの方法だと思います。
(『咲』がキャラ漫画かどうかは意見が分かれるかもしれませんが)

僕には妄想する力がないから、現実にあるものをテーマに、自分で体験したことを元に描くマンガにしようっていうことを考えたんです。それだったらネタにも困らないなと思って。
コミックナタリー「放課後さいころ倶楽部」中道裕大インタビュー

この辺りは前作『月の蛇』で苦労した体験が元になってると思われます。
『月の蛇』は水滸伝をベースにしつつ、さらにフィクションを重ねている漫画でしたが、
ストーリー的には今ひとつでした。

魔法や必殺技を使わず、史実的なトリビアもなく、独特の世界観もない状況で
どうやってインパクトを出すか?という回答を早急に出す必要があるでしょう。

私はゲッサン2011年1月の記事で『月の蛇』についてこう批評しましたが、
結局この問題は解消されることなく『月の蛇』は終わってしまいました。
『月の蛇』 2巻 p167 中道裕大

例えばこのシーン。
水滸伝』において李俊はそれほど頭が良いというキャラではないでしょうけど、
この漫画では「オレが頭脳」と言わせてる割には計略が美人局かよ...という。
ベタで意外性が無いのが『月の蛇』の欠点...解決策は意外性を盛り込む事だったと考えています。
また、「演出を派手にする」のも想像力が必要になってくるので、
中道先生的には『放課後さいころ倶楽部』のようなキャラ漫画を描くというのは正解なんでしょう。


とは言え、キャラ漫画にはキャラ漫画の難しさがある訳で。
どの漫画でもキャラは重要な要素のうちの一つですが、キャラ漫画となれば最重要の要素となります。
『月の蛇』 4巻 p102 中道裕大

『月の蛇』では穆弘や王進は滅茶苦茶格好良かったりと、
オッサンの格好良さだけはやたらと光ってましたが、
キャラの自体の演出が良かった訳でも無かったので、
連載が始まる時点では、その辺りが若干不安でした。

中道 僕は少年漫画ずっと描いてきたから、やっぱハイにしたいなと、「よっしゃー、やっつけてくれたー」みたいな感じの気持ちにしようと思って頑張ってきたんですけど、結構それはみんなやるし、消耗するんですよこっちも。仕掛けの話になるんですけど、やっぱり「よっしゃー、よくやってくれたー」と言わす為には、まず敵がいて、酷い事をせんといかんのですよ。そこがキツい。そこが本当に描けなくて。『半沢直樹』をやるには、まず酷い奴を描かんとダメなんですよ。逆に言うたら悪役だけ描けてれば、主人公がやっつけててくれたらええという話じゃないですか。だから悪役を描く才能が自分には無いなーみたいな所が描いてる中で悩みでおっきくなってきて。
ボードゲーム研究室! 第84回「放課後さいころ俱楽部・中道裕大さん(後編) 32:36〜33:42

これもやはり『月の蛇』の経験を踏まえての事だと思います。
個人的には善玉の飛虎、翠華、青磁のキャラが決して良かったとは思えませんが、
(悪くはなかったですが)
架空のシナリオを考えたり、ヒールキャラを描いたりといった苦手な事がタスクとして必要だったため、
それが足を引っ張っていたというのはあり得ることでしょう。


では、悪役と架空のシナリオというボトルネックを解消すれば良くなるのか?となる訳ですが、
確かに『放課後さいころ倶楽部』のキャラ描写は素晴らしいです。
とは言え、ゲームをやらないシーンはとことんベタです。
放課後さいころ倶楽部』 1巻 p105 中道裕大

このシーンは一応、田上がアヤのことが好きなのがバレた...?
という風にミスリードして意外性は出してますが、それを含めてもベッタベタな展開です。
だからダメだというつもりは全くなくて、ベタはベタで需要がありますから。
ベタでOKなんて、さっきと書いてることが違うじゃないのと思われるかもしれませんが、
街で出会ったアヤがたまたま同じクラスの転校生だったり、
神社で見かけた女性がたまたまアヤの姉だったというベタ展開はともかく、
(コレに関しては個人的に若干不満です)
キャラ描写に関してはベタのほうがウケが良いと思うんですよね。
逆に、こういうベタが許されるのはキャラ漫画だからなんでしょうけども。
ベタがなぜベタなのか。
好きな人がたくさんいるからそういう演出が繰り返されてきてベタになる訳で。
ただ、当然ながらベタな展開だけではキャラ描写が素晴らしい所までは行きませんが。
ではどうすればいいのか?という辺りは2) 3)を読んでもらえれば分かるかと。


2) 「楽しい」の演出
日本において、アナログゲームはニッチ (市場規模が小さいもの。隙間市場) な存在です。
ニッチを漫画で扱う場合には何が必要になるのか。
マニアックにすれば一部の読者にしか伝わらないので、
いかに漫画の間口を広くするかという話になるのですが、



友野詳 仕事の合間に『放課後さいころ倶楽部』(中道裕大ゲッサン少年サンデーコミックス)。京都を舞台に、三人の女子高校生が、ボードゲームを縁として友情で結ばれてゆくマンガ。ボードゲームとか知らない、という方にこそオススメ。友人にボドゲを進めたい時にも使えますぞ。 #放課後さいころ倶楽部 link
その為には漫画を分かりやすくする....アナログゲームの知識が無い人でも読めるようにすること。 これが必要条件のうちの一つです。 ではどうすれば分かりやすくできるか。 条件の一つは、ルールがシンプルなゲームを選ぶことです。

──やはりルールが簡単なほうが描きやすいと。


そうですね。基本的にルールはひとつかふたつで済むゲームを選んでるんですけど、やっぱり少しルールが多いものでも、有名なタイトルはたくさんあって。これからはそれも描くようにしたいとは思います。
コミックナタリー「放課後さいころ倶楽部」中道裕大インタビュー

後二つ似たような条件があって、
ひとつは特殊なルールはなるべく省くこと。
もう一つは、特殊なルールでもゲームの面白さに繋がるルールは、その状況になった時に説明することです。
放課後さいころ倶楽部』 1巻 p128 中道裕大

例えば、『ねことこねこの大レース』では一通りのルールは説明されてますが、
同じマスにねずみは4匹までとか、ネズミ部屋の前にねこがたどり着くと、中にいるネズミは全部食べられる
といったルールの説明は省かれています。
そして、ネズミがチーズ部屋に入ったらそこからは動けないというルールは、
この画像のすぐ後に説明されています。


省かれたルールは特殊な状況にならない限り使われないものなので、
なるべくシンプルにしようとするならストーリーの邪魔になりますし、
ベースはキャラ漫画ですから、特殊なルールを説明するくらいならキャラ描写にページを割くべきです。


ゲームの面白さに繋がる特殊なルールをその状況下で説明するのは、
一つはルールの多さに辟易されるのを防ぐこと。
人間、一度に覚えられる事なんてたかが知れてますから。
もちろん読む人が真剣に覚えようとしていたり、耐性があれば別ですが、
それを読者に要求することは、間口が狭くなることを意味します。
放課後さいころ倶楽部』 1巻 p202 中道裕大

逆に、何パーセントかがルールを忘れる事を前提として伏線に使うことも出来ますけど、
この画像のように後から特殊なルールを説明して、意外性を引き出す方が概ね効果的だと思います。
「こんな事もあろうかと」な演出はどうしてもご都合主義になりがちですが、
ルールとしては存在してる訳で、あえて存在を伏せてたというのはご都合主義にはならないと考えます。

どうやればシンプルに描けるかって辺りも単行本が出た時に後回し。

#8-9の記事でこう書いてましたが、大体こういう事です。


ただ、ルールをシンプルにしても間口が広がるだけで、
読者がアナログゲームに興味を持ってもらう為にはまだ足りません。
扉が開いてても、それだけでは入ってくれないんですよ。


では興味を持って貰う為には何が必要なのか。
この辺りは『宗教法人グルグル』に足りない点でもあるので、自戒を込めて書くのですが。

ロクロウ サザエって中から出てくる汁的なものがさ、緑色なんだよね。
ごとう  そんなんカタツムリ (エスカルゴ) より全然破壊力が強いじゃないですか。大丈夫ですか?
ロクロウ それをさ、一口食べたら旨みの塊でさ、美味しすぎてあの緑の汁を飲んじゃうんですよ。
ごとう  緑なのに。
ロクロウ 飲まずにいられないんだよもう。
      人間はこういう生き物なんだっていうのを僕はあの居酒屋で思い知った。
      さすがに僕はね、あの汁までは飲んでなかったの今までは。
      でもさ、高田康太郎がさ、もう「この世の幸せここにあり」みたいな顔で
      食べてたじゃないですか。
ごとう  あの人ね、本当に美味しそうに食べんだよねw 子供になっちゃうんだよね。
ロクロウ あの汁もさ、美味そうに啜る訳だよ。「そんなにもか?」と思って。
      飲んじゃったら美味かったなー。
ごとう  でもアレですよね。人がそうやって食べられなかったモノを食べられるようになる時って、
      たいていそうやって誰かが美味そうに食べてる時だと僕は思ってまーす。
ロクロウ ほーそうだね。
ごとう  警戒心が薄れるのかもしれないですね。それで。
      「これは喰ってすげー美味いもんなんだ」ってね。
ロクロウ 大人になっても赤ちゃんと一緒だって事だねw
ごとう  そうそうそうそうw
ロクロウポッドキャスト 第15夜 4:38〜6:12

ちなみにサザエの汁、超美味いです。濃厚な磯の旨味に加えて、独特の苦味がアクセントになって
啜り出したら止まらなく...

それはともかく。
実は章題でネタバレしてるのですが
アナログゲームに興味を持ってもらうためには、それがどれだけ楽しいか?を描くことでしょう。
見た目気持ち悪いサザエの緑の汁でさえ警戒心が薄れ、好奇心が湧くのですから、
アナログゲームなら尚更です。
放課後さいころ倶楽部』 1巻 p131 中道裕大

その辺りを明確に描いているのが#7で、
主人公のミキは猫のさくらに、かつての自分を重ねています。
正に警戒心を持っている状態です。
放課後さいころ倶楽部』 1巻 p138 中道裕大

輪の中に入れてもらって、皆が楽しそうにしてるのを見て、
放課後さいころ倶楽部』 1巻 p140 中道裕大

猫まっしぐら。
このシーンはねこがねずみを追いかけるというゲームのテーマと、
楽しそうだからみんなに混ざりたいという動作をシンクロさせた、
オチがいちばん纏まってるシーンでもあります。


どれだけ楽しそうなシーンを描くか。
放課後さいころ倶楽部』 1巻 p24 中道裕大

この漫画に最も必要な要素が、1話目からメインテーマに据えられている辺りは素晴らしいです。
大人になっても赤ちゃんと一緒だとか、猫などの動物と同じと言うと、
レベルが低いというか、低俗だとか思われるかもしれませんが、
逆に動物や子供にも備わってるくらい本能に訴えかける力があるという事だと思います。
また、みんなが楽しんでる描写というのは言わばキャッキャウフフなキャラ描写な訳で、
キャラ漫画とは相性が良い...小難しい言い方をすると、シナジーを形成します。


とりあえず私は今、猛烈にさざえが食べたいですw


3) 駆け引きの面白さ
とは言え、「楽しい」の演出だけでは、アナログゲームの楽しさの本質は伝わりません。

コスティキャンによる定義
(略)
ゲームとは「充分な情報の下に行われた意思決定 (decision making)をもって、プレイヤーが与えられた資源を管理 (managing resources)しつつ自ら参加し、立ちはだかる障害物を乗り越えて目標 (goals)達成を目指す」ものであるとした。
wiki ゲーム

狭い意味での「ゲーム」の定義はこうなります。
資源 (resources リソース) をどう管理するか決断していく。
管理の大半は交換 (trade トレード) を通じてという事になります。
放課後さいころ倶楽部』 1巻 p129 中道裕大

例えばこのシーン。
2)で触れた、ネズミがチーズ部屋に入ったらそこからは動けないというルールのシーンでもあるのですが、
言わばねずみとチーズとの交換ですね。
リソース管理についてはそれだけでコラムが何十本も書けるほど奥深いネタではあるのですが、
漫画においては、どう管理するかという理論 (ロジック logic) が素材になり得ます。
放課後さいころ倶楽部ゲッサン2013年8月号 p98 (1巻 p160) 中道裕大

ただ、この手の理論が好きな人は少数でしょうからねぇ...
理論が漫画に与えるメリットの一つは説得力ですが、
むしろこの漫画において重点が置かれてるのは、その背後にあるキャラの思考、嗜好です。
放課後さいころ倶楽部ゲッサン2013年8月号 p97 (1巻 p159) 中道裕大

理論には世界をどう捉えるか?という、ものの見方が必要になってきます。
漫画の中ではキャラの考え方であり、ひいてはキャラ描写になります。

 ここに無色透明な人間がいます。何かを考えてはいるのですが、何を考えているのかわかりかねます。<お腹がすいているのか><恋に悩んでるのか>あるいは<学問上の悩み>なのか。
そこで、その考えている男にリトマス試液をたらしてみます。
どうするのかというと、<芝居は一人ではできない>という定義を思い出して下さい。
そこで、もう一人の人物を登場させます。つまりリトマスをたらしてみるのです。


男「君、何を考えて いるのだね」
考える 男「実は 昨日から 何も食べて いないんです」


と答えれば、その考える男が何を考えていたかわかります。つまり反応(リァクション ※原文ママ)を示した訳です。


(中略)


 これを定義的にまとめてみましょう。
「一つの状態にリトマス的な、人物、セリフ、小道具、事件、事情、自然現象を投げ込むことによって、
その反応(リアクション)から、その人物の心理や感情や事情等を描くことできる」
これが、リトマス法の原理です。
『新版 シナリオの基礎技術』 p32-33 新井一 ダヴィット社

シナリオの基礎技術

シナリオの基礎技術

以前も引用した文章ですが、言わばゲームがリトマス試液になっていると。
そして、このリトマスが別のキャラになった場合、ゲームでの駆け引きという事になります。

前作『月の蛇』はキャラの格好良さはあるものの、伏線や駆け引き、動きの面で微妙だったので、
ほぼ動きが必要がないジャンルで、かつ駆け引きをメインにした題材を扱うという点で興味深いです。

連載前の記事でこう書いたように、
果たして駆け引きがちゃんと描けるのか?という不安があった反面、
欠点が解消されるのでは?という期待もありました。


結果は期待通り。愛って大切ですねw
放課後さいころ倶楽部』 1巻 p96 中道裕大

このシーンなんか見ると、状況さえ設定すれば、後はキャラが動いてくれるのかもしれませんね。
そう思えるくらい自然です。
パスを宣言された後とは言え、ブラフゲームやってるのに満面の笑みを浮かべてる辺り、
アヤは嘘つけない子だなぁというニヤニヤ描写のおまけつきです。
こういった駆け引きができれば、キャラ描写がより引き立ちますし、
アナログゲームというニッチな題材であることが、逆にプラスに働く...
ベタな駆け引きではなく、切り口が新鮮な駆け引きとなってくれます。


そして、ここが重要なんですが、駆け引きがきちんと描けるということは、
駆け引きをする対象をキャラから読者に変更するだけで
放課後さいころ倶楽部』 1巻 p194 中道裕大

漫画の意外性、面白さに繋げることができます。
このブログで何度も使ってる言葉だと、「ミスリード」ということになります。
こういう風に意外性を出すことが出来れば、ベタと意外性とでメリハリを効かせることもできます。
徹頭徹尾ベタで退屈な漫画に陥らずに済みますし、
ひたすら意外性を追求する必要がある、作者の想像力が要求される漫画にならずに済みます。


恐らく『月の蛇』ではあまり目立たなかったキャラ描写や、ほぼ皆無だったストーリーの意外性が、
放課後さいころ倶楽部』では見違えた様に素晴らしくなってるのは、
中道先生はリトマス的なストーリーを想像するのが苦手で
(実際、ゲーム以外のシーンはベタです)
ゲームのシーンでは、代わりに実際のプレイをいかに再現するかが必要になってくるので、
想像力を働かせるのが苦手なところを補えているからではないかと考えます。
テストプレイ等でどういう状況が起こりうるかはシミュレート出来るでしょうから、
後はどの状況だと誰のキャラが引き立つかを判断するだけです。
もちろん、想像力が全く必要無いという訳ではありませんが、
ゲームという足掛かりがある分、ボトルネックが解消されてると見ていいでしょう。


『コン×コン れしぴ』 ゲッサン2012年9月号 p500 中道裕大

実のところ、キャラの駆け引きやストーリーの意外性に関しては、
『月の蛇』が終わった後の読切『コン×コン れしぴ』ではある程度描けていたのですが、
ひょっとしたらアナログゲームをやり始めた影響があったのかもしれません。


何にせよ、苦手な部分はなるべく避けられつつ、苦手でも必要な要素の足掛かりになり、
要素全てがキャラ描写へとシナジーがあり、なおかつ愛してる題材ということで、
アナログゲームは中道先生が描く漫画としてベストチョイスではないかと思います。