湯神くんには友達がいない #15

書いてたら記事が長くなったので先行して単独記事にしました。
残りのサンデーSの記事については明日明後日更新予定。


湯神くんには友達がいない

正直、今までで一番面白くなかったですね... それでも印は付くんですがw
(中略)
1話完結ではないので、この後の巻き返しに期待。

先月号の記事でこう書きましたが、さすがに今回は持ち直してくれました。
むしろ内容的には最高のデキだったんじゃないかと。
今回より笑える話はあるので、ちょっと技巧に寄り過ぎたきらいはありますが...
個人的にはそういう方が好みなんですよね。客観的にみればどうか?というのはまた別の話で。


割と『動物がお医者さん!?』でよくあった展開でした。相似形を使ったキャラ描写というか...
一般的な言葉を使うと、「対比」って事になりますか。
特に1巻の4話よく似ています。

動物がお医者さん!? 1 (少年サンデーコミックス)

動物がお医者さん!? 1 (少年サンデーコミックス)

『動物がお医者さん!?』 1巻 p159-160 富士昴

『動物がお医者さん!?』では犬のココロとその飼い主の内木さんが、
お互い「社会化」できてない状況をどうアニマルセラピー的なもので克服していくか?という話でした。
内木さんがココロの社会化させるため、自分が手本となって人と関わっていくことで、
ココロの社会化を促し、内木さん自身も社会化に対応できるようになることで癒されるという展開でした。


構造的にみれば、内木さんとココロが同じ問題を抱えていて、(相似形)
片方の問題を解決する為にもう片方の問題に向き合う原動力が生まれ、解決に向かうと。
この話に限らず、『動物がお医者さん!?』はホント良く出来てる漫画なので、
今回のような話がもっと読みたい人は『動物がお医者さん!?』を買ってみるといいかも。 (宣伝)
まぁ『湯神』のようなコメディ漫画ではありませんけども。 (要素としては多少ありますけど)


で、『湯神』ではその辺りどうなっているのか。
湯神くんには友達がいない』サンデーS 2013年9月号 p22 佐倉準

湯神も犬も同じ「社会化」 (この漫画では「社会性」) という問題を抱えている点は共通しています。


『動物がお医者さん!?』 2巻 p34 富士昴

湯神くんには友達がいない』サンデーS 2013年9月号 p23 佐倉準

当然ながら、解決する手段も『動物がお医者さん!?』同様、他の犬と触れ合わせることになります。


ちなみに、リーダーウォークで失敗するのも同様です。
『動物がお医者さん!?』 1巻 p157 富士昴

湯神くんには友達がいない』サンデーS 2013年9月号 p23 佐倉準

こんだけ似てたらパクリと非難する人もいるかもしれませんが、
ちゃんとこの漫画らしい展開もあるので、個人的にはリスペクトという解釈の方が正しいのかなぁと。
湯神くんには友達がいない』サンデーS 2013年9月号 p18 佐倉準

犬の名前もスバルにしてる辺り、
リスペクトしてる感がありますしねw








※追記
作者本人に伺ったところ



さくらじゅん @GRGR_ ありがとうございます!スバルは結んでひとつにという意味があるらしいのでそれでつけました。 link
こういう回答を頂きました。 で、どこが違うかっていう話になる訳ですが。 アニマルセラピーがテーマの漫画とコメディ漫画では当然切り口やら何やら違ってきます。 『動物がお医者さん!?』では内木さんが社会化することによってココロの社会化を促してますが、 『湯神』では湯神が自分にも当てはまる問題だと全く考えない辺りがコメディになってますし、 最後には元の自分...「ぼっちでいるのだ」へと戻っていきます。 湯神くんには友達がいない』サンデーS 2013年9月号 p30 佐倉準 話は少しズレますが、この辺りのしぐさの表現がこの漫画の素晴らしい点の一つでもありますね。 2p前にも似たようなしぐさがありました。

 能書きはともかくとして、早速シャレードとは何かに入りましょう。唯一の手引書『テレビ台本作法』の中から定義らしきものを引用してみましょう。
「手法の視覚的な面の鍵はシャレードです。シャレードというのは、ただ次のことを示します。つまり何かを象徴として示すことによって、その言わんとする意味が伝達される。その”何か”なのです」 (後藤和彦ダヴィット社)


ここにも書いてあるように、視覚的な面の鍵とも言われるべきもので、一つのもの (小道具、動作等) を見せることで、その背景や陰にあるものを、そのものズバリと的確に表現する技術といえましょう。
(中略)
ほんのささやかな人物の動作や、癖や、持ちものの中に、それぞれの意味はあるものです。
『シナリオの基礎技術』 p162,164 新井一ダヴィット社
(※太字部分は傍点)

テレビ台本作法 (1958年)

テレビ台本作法 (1958年)

シナリオの基礎技術

シナリオの基礎技術

シャレード (charade) という言い方はあまり一般的ではないので
(実際、はてなのリンクではダイハツの車の説明だけですし)
私はしぐさとしか書きませんが、人や動物以外でもしぐさ的なもの、シャレードは存在します。
湯神くんには友達がいない』1巻 p79 佐倉準

このシーンなんかはそうですね。モノの配置をきっちりすることで、湯神の几帳面さを表す。
こういう漫画の表現が出来ると、セリフやモノローグに頼らずキャラを描写することもできます。


話を戻すと、「ぼっちでいるのだ!」という表現は、
社会との関係をなるべく排除することを選択しているのであって、
社会との関係が取れない訳ではない... 少なくとも湯神自身はそう思ってるという事です。
それを端的に表しているのが、先の猫に逃げられるシーン。


スバルがいなくなった寂しさを、猫で紛らわそうとするも、所詮畜生。エサに釣られて去っていきます。
構ってないと擦り寄ってきて、構おうとすると去っていくという猫の描写は今までも度々ありましたが、
ここでは犬との対比にもなってるんじゃないかと。
で、犬とのコミュニケーションに慣れた湯神はその挙動にスネる訳ですがw
そういったコミュニケーションの煩わしさを嫌ってこその「やはり亀が一番である。」
作者がここまでメッセージを込めてるかどうかは分かりませんが、
コミュニケーションを取りたいとは思いつつ、煩わしさは回避したい...
それが故のセリフなのかもしれません。


そう考えると、湯神はホント『神セカ』の桂木桂馬に良く似ているなと。

神のみぞ知るセカイ 1 (少年サンデーコミックス)

神のみぞ知るセカイ 1 (少年サンデーコミックス)

「リアルはクソゲーだ!」と看破しつつ、煩わしさの無いコミュニケーションをギャルゲーに求める。
かといってコミュニケーションを取れない訳ではない。 (多少強がってそう思ってる面はありますが)
ある意味、こういう主人公像は時代を象徴してるのかもしれませんね。
...他にも『俺ガイル』の主人公も似たような面がありますし。


また話が逸れました。『湯神』に話を戻すと、
厄介な犬を相手することと、モンスターカスタマーとの相似形を作ったり、
湯神がいなくなってせいせいしてた門田が、永いこといなくなった事で寂しさのようなものを感じてる事を、
湯神に対するイラツキで表現しつつ、「亀が一番」の後にも出して対比させる。
子どもを追いかけるシーンではリーダーウォーク出来てないというネタの天丼になってますし、
細かい所を見ても無駄なコマが本当に無いです。
いやー、今回本当に良く出来ています。とても24pとは思えない濃い内容だったんじゃないかと。