六角少女関係 (読切) マツセダイチ

割と批判的に書くのでマツセ先生は読まない方がいいじゃないかな。


※追記:
と書いたのに



マツセダイチ
@GRGR_ あ、あと短編の記事ありがとうございました! すごく参考になりました。ネームの段階で見て欲しい…
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まー読みますよねー (苦笑) リアル志向の絵柄なので、基本的にはファンタジーや2次元バリバリな漫画は合わない作家さんですが、 それがギリギリ許容できる、すこし不思議なSFを題材にしてきました。 それ自体はいいんですが、『ひとりぼっちの地球侵略』と被ってるのがちょっとゲンナリ。 この作品がいつ頃描かれたのか分からないので何とも言えませんが、ヒロインがバトる展開に加え 『六角少女関係』 ゲッサン2013年2月号 p479 マツセダイチ 『ひとりぼっちの地球侵略』 2巻 p64 小川麻衣子 敵がゲート的なところから出てくるという設定や、 『六角少女関係』 ゲッサン2013年2月号 p415 マツセダイチ 『ひとりぼっちの地球侵略』 1巻 p29 小川麻衣子 主人公の心臓が止まって移植される所まで被るってのはちょっと... 以前『絶チル』と『ハヤテ』が高尾山の遠足ネタで被った事があったりと、偶然そうなる事はあり得ますが、 ヒロインがバトる所で被るのはまぁいいとして、敵がゲート的なところから出てきたり、 さらには主人公の心臓が止まるというディテールまで同じってのは、 何かしら被る原因があったんじゃないかと、どうしても思ってしまいます。 その上『地球侵略』より面白さに欠けるのがせつないです。 展開に意外性が無かったのが微妙な原因なのかもしれません。 『まちにまったおとなりさん』でヒロインが人間ではないと最初に描いてるように、 『六角少女関係』もヒロインがスパナ女の正体だとバラしてますが、 『まちにまったおとなりさん』がデレの部分の意外性を出すためにバラしてるのとは違い、 『六角少女関係』では主人公キャラから見れば意外性のある展開ではありますが、 読者にとっては何の意外性もありません。 もちろん意外性のない黄金パターンというのも面白さのひとつではあるのですが、 それには達成感が必要だと思うんですよね。それが少なくともバトルシーンまでの展開には無いんですよ。 『六角少女関係』 ゲッサン2013年2月号 p479 マツセダイチ また、結局穴は何なのかが分からないというのはアリなんですが、 単に「分からない」だけでは面白さに繋がらないと思うんですよね。

ロクロウ:分からないって事は面白い事なのかもしんない。
      パッと観て一回で分かるようなものなんて大して面白くないんだと思うんだよね。
                         (中略)
後藤  :畑健二郎先生が言ってて、「そうなんや」と思ったのがあるんですけど。
      『ハウルの動く城』(のソフィー)って、お婆ちゃんになっちゃうじゃないですか。
      でもあれは、お婆ちゃんになっちゃう魔法を掛けられてるんじゃないんだと。
      あれは、「心の年齢になってしまう魔法」が掛けられているらしいんですよ。
ロクロウ:ほう?
後藤  :それに気づくと、一気に面白くなる。
ロクロウ:おー。本当だ。
後藤  :やべーでしょ。
ロクロウ:すげー。やるな畑健二郎
後藤  :いや、畑健二郎先生考案かどうかは分かりませんよ。でも言ってたんですよ。
      で、まぁ僕はそれを聞いて、まだ観てないんですけどもw
ロクロウ:でも今ハッとしましたよ。確かにぐるぐるぐるぐる変わるんですよソフィーの顔って。
      ちょっとキュンとしたりすると若くなったり、キュンとした気持ちを抑えると、また老婆に戻ったり。
      何となく観ていると感じとしては分かるんだけど、そうやって明確に理由付けされると分り易いね。
後藤  :でしょ。それ言われると観たくなるし、(作品の中では)言わなかったんでしょうね。
      でもそれは、言っちゃったら面白くなくなっちゃう。気づいたら…
      だから二度目三度目観た人がハッとその事に気づいたら、面白かったのかもしれない。
ロクロウ:そこがだから『(借りぐらしの)アリエッティ』には無いんですよ。
後藤  :実はあるかもしんない。あれは心の年齢の大きさの…w
ロクロウ:全然アリエッティ大きくなったり小さくなったりしないからねw
       ソレだったら面白いねぇ。「あれちょっと今微妙に大きかったんじゃねーかな」
『ロクロウポッドキャスト』第1夜 9:27〜11:55

ハウルの動く城』の場合には (私は映画観てませんが) こういう面白さがあったらしいです。
同じ宮崎駿映画だと『紅の豚』の主人公が結局なぜ豚になったか分からないまま終わる展開でした。
個人的には、それでも面白いと思えるのは、なぜそうなったのかを
想像する余地と手がかりがあるからだと思うんですよね。
『六角少女関係』も完全に説明されていないことで想像する余地はあるのですが、
『六角少女関係』 ゲッサン2013年2月号 p516 マツセダイチ

手がかりがヒロインのセリフという直接的な説明なので、想像する楽しさが失われてるんじゃないかと。
話が逸れますが、モンキーレンチ使ってるのに「スパナ女」と呼ばれてるのは分かりやすいからいいとして、
上の画像の1コマ目、レンチはこういう風には使わないんじゃないかとw
ボルトに嵌めて回して、一旦抜いてからまた嵌める、といった使い方しますんで、
レンチの内側とボルトの六角形の辺が密着しないのはおかしいです。


怪物のデザインがおざなりな感じで背中にボルトを付けてるだけ、というのも若干不満。
『六角少女関係』 ゲッサン2013年2月号 p499 マツセダイチ


これもロクロウポッドキャストのネタなんですが(第72夜)、
歩いていると道にカセットテープが落ちていて、それを拾わなかったんだけど、それを拾って
掛けてみたら何が流れるんだろうと想像すると面白かったという話がありました。
ありがちなのかもしれませんが、同じように道にボルトが落ちていたというのも面白いんじゃないかと。
どこにでもあるものが、普段ないところに存在する。この違和感。


例えば、空の穴から落ちてきたボルトが、道に落ちてる段階では何も起こらないけど、
ネジやボルトがあるモノに触れると融合して怪物になって襲いかかってっくる、となれば怖くなりませんか?
座金をチャクラムのように飛ばして攻撃したり、必要も無いのに割れた眼鏡掛けてたりと、
キャラ的に面白さを出すことも出来るかもしれません。
穴の謎を間接的に表現することも出来るでしょう。
まぁこうすると『BULLET ARMORS』と被ることにもなるんですがw


とまぁ色々やりようがあったんじゃないかと思える作品でしたが、良い所もありました。
『六角少女関係』 ゲッサン2013年2月号 p518 マツセダイチ

ひとつは最後の最後で出てくる達成感。


もうひとつは、主人公とヒロインの関係性。
現代における男女の立ち位置を実によく表現できていると思います。

「ダメな僕。それでも『そんなアナタが好き』と言ってくれる女の子はいないかな」と<承認>を求める男の子。そんな具合に自分のことしか考えていない男の子に愛想を尽かし、心の奥底を打ち明けても<理解>してくれる男性を求める女の子。これでは、噛み合うはずもありません。
『日本の難点』 p40 宮台真司 幻冬舎新書

日本の難点 (幻冬舎新書)

日本の難点 (幻冬舎新書)

この解決方法として最後のシーンがある訳で。


漫画の根幹となる所では良い所があっただけに、惜しい作品だったとは思いますね。
まぁチャレンジした部分が多いので、最初から中々上手くはいかないんでしょうけども。
この作品を糧にして、次の作品に活かしてもらいたいもんです。