The Structure of "The World God Only Knows" #3

以前予告していた年内更新を何とか守ることができました。
今更感を漂わせながら『神セカ』ちひろ編 (主にアニメ) について書いてみようと思います。
言葉遣いが今とはかなり違ってますが、ちひろ編に関しては4巻の記事も参考に。
若木先生が好き過ぎて語る何か』で加筆修正する以前の記事はコチラ。
The Structure of "The World God Only Knows" #1
The Structure of "The World God Only Knows" #2



1) コミック版ちひろ編(駆け魂編, FLAG.28〜32)


1-a) 歩美編との共通点
以前『若木先生が好き過ぎて語る何か』で書いたので、ここでは詳しくは書きませんが、
歩美編とちひろ編には攻略方法が同じという共通点があります。
神のみぞ知るセカイ』 4巻 p79 若木民喜

このブログで何度も書いてますが、「関係の履歴」です。
最初はユータ君の属性が分からないので、この方法でちひろとユータ君をくっ付けようと桂馬は画策しますが、
神のみぞ知るセカイ』 4巻 p81 若木民喜

その打ち合わせ自体がちひろに水を遣る行為になっていたという、実に素晴らしい演出でした。
私が『神セカ』にハマったきっかけになったのは、ブログで記事を書くときに、連載時の記憶だとあやふやで
単行本買わないと正確な描写は出来ないなと思って買った時に、はじめてこの構造に気付いたことでした。
正直、雑誌で読んでる時にはここまで良く出来てる漫画だとは思っていませんでした。


そして、この構造はその後の女神編歩美&ちひろ同時攻略にも活かされています。
その辺りは以前『若木先生が好き過ぎて語る何か』で書いた(ry


話は少しズレますが、ちひろ編は初めて桂馬が攻略でつまづいた回でした。
それまでは桂馬が先を読みきって攻略までこぎつける展開ばかりでしたが、
ちひろ編はリアルの象徴であるちひろが相手だったからか、ちひろに罵られてへこみ、
告白止めると言い出されたりと、桂馬にとっては一筋縄ではいかない展開でした。
桂馬が計算どおりに物事を進めていくところに気持ちよさを感じる人もいるでしょうが、
個人的にはトラブルに巻き込まれる展開の方が、ご都合主義な印象が薄れて面白く感じます。


1-b) 理想と現実、目的と関係、男性と女性
この辺りも以前(ry で書きましたが、その文章を一部引用します。

どこまで意図的かは分かりませんが、この漫画において「理想と現実」の対立構造が、ほぼそのまま「男性と女性」の関係に置き換えられます。桂馬以外に男性の登場人物がほとんど居ないという事もありますが、「リアルは曖昧だ」等のセリフがほぼ男性から見た女性の姿とほぼ一致します。
(中略)
桂馬の思考や行動も「どう処理するか?」が最優先事項です。
(中略)
対する女性は、コミュニケーション自体が目的です。
(中略)
ちひろ編で男女のギャップが端的に表現されていたのが、先の下図のシーンです。桂馬はユータ君とちひろをくっ付ける目的が出来たために、その目的のために真剣に取り組みます。一方ちひろは桂馬とのコミュニケーションが蜜(原文ママ)になったことで桂馬に惹かれます。そもそも「親密度は出会いの数に比例する」という攻略法は、ヒロインとのコミュニケーションを図るのが目的なのにも関わらず、桂馬はちひろとのコミュニケーションが取れていることを自覚していませんでした。
この辺りの男女の考え方の違いは、アニメのちひろ編ではオリジナルシーンのほとんどに、さりげない演出として描かれていました。
若木先生が好き過ぎて語る何か え』 p47,48 GRGR

×蜜 ○密 ですね... で、先の下図のシーンとはこれです。
神のみぞ知るセカイ』 4巻 p90 若木民喜


2) アニメ版ちひろ編 (『神のみぞ知るセカイII』FLAG 5.0〜7.0)
動画をキャプできる環境ではないので画像はありません。ご了承下さい。(て言うか誰か画像下さい)
ちひろ編は恐らくアニメだと2話で成立させようと思えばできたんではないかと思いますが、
(歩美編のような駆け足でなくても)
尺に余裕が出来た (もしくは作った) 分、何気ない演出が目を引きました。


原作ではちひろが桂馬に対して積極的にコミュニケーションを取ろうとしてるのはこのシーンだけでした。
神のみぞ知るセカイ』 4巻 p84 若木民喜

「オリジナルシーンのほとんどに」というのは言い過ぎでしたが、
男女の違いについて三箇所オリジナルな演出がありました。
原作では入れられなかった演出をアニメでは入れたいと若木先生が思ったのか、
脚本サイドからこういう演出を入れようという提案があったのかは分かりませんが、
個人的にはこのオリジナルな演出は素晴らしかったと思います。


まずは天気予報。
ちひろは何気にTVを付けてた時に天気予報が流れてるだけでしたが、
桂馬は攻略の成功率に関わるからといった理由があって、天気予報を自発的に見ていました。


次に、『若木先生が好き過ぎて語る何か』でも触れた、携帯電話の演出。
ちひろは桂馬にレポートを読めと言いつけられていたにも関わらず、歩美や京と電話をします。
何かの用事がある訳ではありません。おしゃべり自体が目的でした。
対する桂馬は「告白の日だ。時間どおりに来い」と、用件だけを簡潔にメールで。件名も無し。
正に「コミュニケーション自体が目的」「どう処理するかが目的」の違いを表すシーンでした。


他にもFLAG 6.0と7.0の間に「アメリカ人は雨でも傘差さない」「TV観ないの?」といった、ちひろが桂馬と
コミュニケーションを取ろうとする行動が、桂馬の攻略説明を遮る演出として挿入されました。
原作ではちひろの桂馬への眼差しが以前とは違うことを描写することによって、
この段階でフラグが立っていることを示していましたが、だからこそ、ここでも肉まんのような
「コミュニケーション重視」の演出が映えるのではないかと。


男女の違いが表された演出は恐らくこの三箇所だと思いますが、
それ以外の演出も素晴らしかったです。
まぁ例外はありますけども、個人的に桂馬が引き篭もって年月が経つシーンは尺稼ぎにしか感じられませんでした。
駆け魂6万のシーンはまぁいいとして。


ちひろの登下校のシーンも良かったですね。
攻略前のちひろの登校シーンと、攻略後の下校シーンとの対比がまずひとつ。
登校シーンだけみても、一旦外に出た後傘を取るシーンは中々趣が。
TVで天気予報は流してたけど見てなかったという解釈ができますし、 (念のためだったのかもしれませんが)
その後のコンビニで肉まんを買うシーンとの対比にもなってます。
その肉まんを買うシーンも、新メニューを見つけていつものように肉まんを買った後に、
桂馬とのコミュニケーションが取れるからと、もう一つ肉まん買いに戻るってのがいいですね。
まぁそんな思いで買った肉まんを、桂馬は本題に入る為にとっとと処分するんですが...w


個人的には桂馬が天気予報を見たシーンが素晴らしかったなと。
萌え的な見地からすると、LCが入った後に桂馬が入るのかとかその辺りで妄想が膨らむのかもしれませんが、

あいつのような個性が無い女子だからこそ、ゲームのプレイヤーキャラクターにシンクロしたのかも。
興味深い。

このセリフには感心しました。
LCがこの後否定するように、ちひろにも個性があると言えばあるのですが、あくまでプレーンなキャラです。
原作ではユータ君が特殊キャラだからどんなキャラに共通する攻略法で何とかすると桂馬が言ってますが、
神のみぞ知るセカイ』 4巻 p78 若木民喜

こういう狙いも (桂馬ではなく、作者的に) あったのかと。
しかもその前の

男子キャラの攻略にここまでギャルゲーのノウハウが応用できるとは、意外な発見だったな。

このセリフにもまた感心。
3期でやるかどうか分かりませんが、結編の攻略に関連させる事を意識してるのでしょうか。


何にせよ、個人的には原作の駆け魂編に関してはちひろ編が至高だと考えてますが、
アニメ版のちひろ編は原作では尺の問題からか、入ってなかったシーンが、
アニメだからこそ映える演出で描かれていて、原作に輪をかけた素晴らしい出来だったと思います。
来年予定されてる3期も、ちひろ編かそれ以上のクオリティを期待したいです。