当ブログを読む際の注意点 2

ゲッサンのレビューを書く前に、改めてこのブログの注意点を。


なるべく客観的な記述を心がけてる部分もありますが
基本的には「主観、妄想、決め打ち」を土台にして論理を展開していき、違った読み方を提供するのを主眼においています。
分かる人には伝わると思いますが、「サイキック青年団」的な論理です。
こういう視点が「アリ」なのは以前書いた記事の引用を参考にしてもらうとして、
ちょうどいい機会なので、今回はなぜそういうスタンスで書いてるのかを書きます。


漫画でも何でも、批評する際には客観的視点に立つというのがセオリーです。
例えば知り合い(?)のブロガーさんに


「作品をちゃんと評価するために、作者のブログ等は一切見ない」


といったような(うろ覚えですが)スタンスを持ってる人がいます。
このスタンスが唯一正しいとは全く思いませんが、素晴らしい考え方だと思います。
あくまで作品のみを評価する。どの作者が描こうが関係ない...
つまり、権威主義的な要素をなるべく排除しようという、公平さに重きを置いたスタンスだと思うからです。


実はこのブログ、このようなスタンスではやってません。

あくまで、「この漫画が面白くなるには、どうすればいいのか?」という私個人の思考実験で、客観的な記述って訳ではありません。
(ブログのタイトルに「宗教」と入れてるのは客観的ではないという意味を込めてです。)

以前こう書きました
どうすれば面白くなるかを考えるとき、客観的な視点だけでは難しいんじゃないかと考えます。
作者の特徴は何で、どういう欠点があるのかを分析するのには客観的な視点が必要ですが、
どういう作品を描きたいのか、もしくは描きたくないのかという所まで探るとなると
どうしても作者が何を考えているかにまで深入りする必要がでてきます。
好きでもない作品描けと言われてもモチベーション上がる訳ないですしね。
なので知り合いのブロガーさんとは逆に、作者のブログ等はなるべくチェックしています。
そして、探れなかったところは「主観、妄想、決め打ち」で補うw
作者の考えが全て正しいという、ポストモダン以前の「作者という神」とはまた別です。


単なる思考実験なら別に公開しなくてもいいって話もありますが、
実は昔、このブログはリア友3人とネットの知り合い2人にしか公開してませんでした。
銀塩少年』をもっと広めたいという意図で公開に踏み切りましたが、
その役目はとっくに終えたので、また非公開に戻そうかなとは常々考えてます。


このブログのもうひとつの目的として、
「この漫画がもっと読まれるには、どうすればいいのか?」というのもあります。書き忘れてました。


知ってる人は知ってる筈ですが、私、10年前はflash職人で、例えばこういうflashを作ってました。
大和心とポーランド

flash職人になったきっかけは、flashが作りたかったからというのではなく、
「この感動的な話をどうやったら広められるか?」という手段の一つとしてflashを選択したというだけの事です。
その辺りは今でもあまり変わらないのかもしれません。
flashなら編集を通じて「どうやったらより面白くなるか」を形にできますが、
漫画の場合はそういう訳にはいかないので、批評という形で書いてる、という違いはありますけれど。


なぜこういう目的で書いてるか考えてみたんですが、たぶん「効率厨」だからってのが一番当てはまるかとw
ポテンシャルが発揮されてない作品(作品自体の質だったり、知名度だったり色々ですが)を見ると、
勿体ないなーと思うんですよね。


とにかく、『宗教法人グルグル』は漫画のポテンシャルを高めるにはどうすればいいのか?
自分なりに考え、それをまとめた備忘録のつもりで書いてます。
なので、客観的な批評を読みたいという方のご要望にはお答えしかねます
というかこのブログの批評が客観的なものと勘違いされると非常に困りますw
ご了承下さい。