The Structure of "Can animals cure us!?" #3
#1,#2の続きです。#4に続きます。
The Structure of "Can animals cure us!?”#1
The Structure of "Can animals cure us!?" #2
建設的な意見になるとどうしても自分の好みが前面に出るので、
あくまで叩き台のうちの一つを提示してる、くらいの認識でお願いします。
6) キャラ描写の改善案 その1 「ロールプレイ」「多様性」
サンデー超1月号の記事(『動物がお医者さん!?』は EPISODE 10)で概ね#2のような内容の批判をしましたが、
サンデーS4月号(『動物がお医者さん!?』は EPISODE 12)である程度改善されていました。
具体的にいきましょう。
例えば#1でさんざんストーリーの展開力があると褒めた老人ホーム編(EPISODE 6,7)ですが、
キャラ描写に関しては疑問が残るシリーズでした。
『動物がお医者さん!?』 2巻 p92 富士昴
お爺ちゃんでさえ「可愛い」と思わせる表情を描けてるのはまことに素晴らしいとは思うのですが、
読者がこのお爺ちゃんのファンに付くか?と言われればNOでしょう。
世の中には枯れ専というジャンルもあるのは確かですけども...
って、ヒロイン出してない云々は既に書きましたからこの辺で。
実のところ、前半は非常に良い描写がありました。
『動物がお医者さん!?』 2巻 p59-60 富士昴
この描写でキャラにファンが付くという訳ではありませんが、
小心者で失敗を恐れる小石川のキャラと、困ってる人がいると助けずにはいられない渚のキャラが上手く表現されてると思います。
さらに言うと、渚の考えをあえて後に持ってくることによって小石川の考え方へとミスリードする。
そうすることによって意外性を出してるんですよね。この辺りは本当に素晴らしい。
意外性に関してはこの漫画文句無いんですが、キャラ描写に関してはここがたまたまハマった感があるんですよね...
『動物がお医者さん!?』 2巻 p85 富士昴
それを裏付けるのがこのシーン。
EPISODE 2の失語症の子どもの話も、EPISODE 4の内木さんの話も、EPISODE 13のイルカセラピーの話もそうなんですが、
全部渚がいい所持ってっちゃうんですよね。
それまでの展開に疑問を呈する役割と、解決策を見出す役割の両方取っちゃってるんですよ。
もちろん渚は主人公なのでオイシイ所を持っていかせるのは間違いではないんですが、
他のキャラが活躍できる場所まで奪ってるんじゃないかと個人的には考えます。
ではどうするのか。
片方を他のキャラの役割にすればいいって事になります。
このブログでよく書いてる言葉だと「ロールプレイ」です。
一番オイシイのは解決策を見出す役割なので、基本的には疑問を投げかける役を誰かに割り振ることになるでしょう。
『ハヤテのごとく!』 週刊少年サンデー2012年20号 p200 (33巻 p166) 畑健二郎
個人的にロールプレイがしっかりしてると思う漫画は『ハヤテ』ですが、(『ハレルヤ』もそうですけど)
この回*1の西沢さんが「ナギがどういう漫画を描きたいかを引き出していく」という、疑問を投げかける役割でした。*2
もちろん、渚が疑問を投げかける役にやってもいいですし、場合によっては両方やる、もしくは両方やらなくてもいいでしょう。
要はそのシーンに誰がその役割を担えば一番面白くなるか?を選択してるかどうかです。
例えば、このシーンでヒロインの星乃がその役割を担うとします。
星乃は渚が作るアニマルセラピーのチームに入りたがってるので、
渚の役に立つような事が出来て、渚に褒められでもしたら、それに喜ぶようなシーンを挟むことができるでしょう。
その表情でファンの心を掴むことができるかもしれません。
星乃がそういう犬っぽいキャラとして作者が描きたいかによりますけれど。
このシーンだと、一番マッチするのは恐らく内木さんでしょう。
『動物がお医者さん!?』 2巻 p90-91 富士昴
「山上さんの居場所がない」「杖に固執する」という構造は、内木さんとココロを取り巻く環境と相似形です。
つまり、杖を持ったままでもいい状態というのは、内木さんがココロと一緒にいる状態。
改善すべきは山上さんの社会化って事になります。
似たような環境にあった内木さんなら、山上さんの立場が理解できるという事に説得力が出ますし、
内木さんがどういうキャラか?をもう一度印象付けることもできます。
山上さんの過去シーンを内木さんの目線で描けばより感情移入できるでしょうし、
ょぅι゛ょの時代を描けばそこでキャラにファンを付けられる演出にもなります。
過去編の最後(EPISODE 10)にもそういう演出を出していればなーというシーンがありました。
fujisubaru | 山場のシーンの演出がピンと来なくて困る。猫とおっさんが密室で話してるだけ(笑)参考になりそうな本を書庫で漁り中。 |
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「自分と違う人だから… 自分と違う動物だから… 俺はチームにいてほしい。」
要するに多様性です。
多様性に対応するにはニッチを突き進むという方法もありますが、基本的にはキャラにもバラエティを出すのが常道でしょう。
この漫画のコンセプトの一つが「多様性」なのですから尚更です。
生物体の多様性が、自然淘汰の原材料となる。政治的性向の多様さが、民主主義政府を更新し、権威主義政府を挫く。能力と欲望の多様性が市場を促進する。信念、思想、経験の多様性、つまり我々の色々な主観的世界の多様性も、これに劣らず重要である。この多様性こそまさにあらゆる天然資源のうちで最も豊なもの、多分、すべてのもののうちで最も豊なものである。
『表現の自由を脅すもの』p106 Jonathan Rauch著 飯島良明訳 角川選書
キャラの多様性をどう描くかは、単純に記号(ツンデレのような性格、ツインテールのような外見)で表すというのが一つの手です。
ただ上の画像の趣旨からすると、キャラがどういう考えを持ってるか?が内容的にも重要になってきます。
EPISODE 12では鮫島と牧原さんとの意見の対立が描かれてましたが、
それ以外の回ではミスリードさせたい内容と、解決策との対立のみが描かれてるんですよね。
具体的に言うと、老人ホーム編では山上さんを活動に参加させるか否かと、杖を取り上げるか持ったままにするか。
最もシンプルな意外性の出し方なので、まずはこの方法を採用してるという意味では問題ないんですけども、
この方法が意見の多様性を描いているか?と言われると疑問です。
知識体制がこの資源を有効に扱うならば、少なくとも二つのことをなし遂げうるに違いない。先ず第一に、この体制下では生産的な対立が起こるだろう。然るべき場所、然るべき時期において、新たなアイデアが触発されて出てき、新たに討論が繰り広げられ、こうして思想の研究のための実り多い議論設定が行われる。第二に、この体制は、それが培った対立を解決できるのでなければならない。先ず培養してから次に選別しなければならない。どの新しいアイデアが研究に値するか、どの議論が継続する価値があるか、どの信念が「一般的受容」と当然の利用の正式範囲に入れられるかが、決められなければならない。この選別は、仕事の半分のうちでもより困難なほうである。我々は皆、毎日朝飯前に三つの新しいアイデアを持つことができる。問題は、それがほとんどと言っていいくらい下らないアイデアであるということである。困難なのは、誰がいいアイデアを持っているかを突き止めることである。対立意見を効果的に述べ、そこから選択するという平和的方法が欠けている場合は、幾百万という我々のアイデアはただそこにあるだけで、それぞれが自己の優位性を主張するが、決定の仕様がなく、収束することもなく、ただ分裂と漂流あるのみである。
『表現の自由を脅すもの』p106 Jonathan Rauch著 飯島良明訳 角川選書
そもそも多様性がなぜ必要なのかというのは、こういう事です。
で、多様性を担保しつつ、いかに意外性を出すかですが...
若木民喜 | @koutensugano 読ませないってのも色々あって、「想像もできない」ものと、「まず想像させておいて裏切る」ものと、「何パターンか提示しておいて、そのうち何を選ぶか、ないしは選ばないか」というもの・・・ボク的には展開そのものより、展開の前の議論が大事なんじゃなかろうかと。 |
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fujisubaru | ペン入れ一区切りしたので夜中に自分目標。(1)キャラの表情や動きをもっと生き生き描けるようになる (2)主人公が何したいのか一番わからんのでキャラの掘り下げする (3)少年誌なのに見せ場が地味。でもこのネタで無理やり派手な話するのも???対策なんか考える |
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