ハレルヤ オーバードライブ! #14

今更ですがハレルヤの#14を。(#15は明日upできれば...)
いやー素晴らしい。(いつものパターン)
「ハレルヤ」に関しては「ロールプレイ」「カップリング」「ミスディレクション(ミスリード)」を軸に考察してますので、
かなりの頻度でリンク貼ってますが、まずは以前書いたハヤテ考察をお読みください。


#14で特に顕著だったのが、情報を知ってる/知らない/誤解してる が明確に表現されてることです。
例えばこのシーン。
『ハレルヤ オーバードライブ!』 ゲッサン2010年8月号 p180-181 高田康太郎


麗が「バンドを脱退する」と言い出したことについて、小雨が誤解をしています。
冬夜は「何があったか知らない」と言いながら、現実的な問題を考えてます。(クール?)


実際にはこの後で触れられてたように、
『ハレルヤ オーバードライブ!』 p206

「辞める覚悟でベースとしての役割を果たそうとしていた」というのが理由ですが。
#13にも「役割」という言葉が出てきますが、この辺りは私の言う「ロールプレイ」に自覚的な証拠でしょう。


何にせよ、キャラの情報に差を付けるメリットは、それを基にしてキャラクターの思考に差を付け、
ひいてはキャラの個性を出すことにあります。
そこまでは比較的容易ですが、そこからエンターテイメントへと還元していくのが難しいんですよね。


『ハレルヤ オーバードライブ!』 p201-203

小雨のスイッチがハルだという事に冬夜だけが気付きます。
冬夜は客観的な見方ができて、かつハルに恋愛感情を持つからこそ、このスイッチに唯一気付くというのがまず説得力あります。
そして、これが冬夜と麗とが共闘するきっかけとなります。(冬夜と麗が付き合うフラグです)
また、冬夜は兄貴に勝つためにはハルがスイッチ入れてくれないと困るんですが、
ハルと付き合いたい冬夜にとっては小雨とハルの関係が蜜になっていくのもまた困るという二律背反(アンビバレンツ)になってます。
この辺りは#16でも表現されていますので、詳しくはそちらで書く予定ではいます。
何にせよ、情報の差をこのようにしてエンターテイメントへと結びつける辺りは高田先生非常に上手いと思います。


ちなみに、p202-203は昔の高田先生の読切に同じような演出があります。
それだけこのシーンはストーリーの根幹だということなのかもしれません。
『ハリケーン ハリケーン』 サンデー超 2008年5月24日号 p287-290 高田康太郎