当ブログを読む際の注意点

ゲッサンのレビューの前に、改めてこのブログの注意点を。


なるべく客観的な記述を心がけてる部分もありますが
基本的には「主観、妄想、決め打ち」を土台にして論理を展開していき、違った読み方を提供するのを主眼においています。
分かる人には伝わると思いますが、「サイキック青年団」的な論理です。
ゆえに作者の方々がこのブログを素直に参考にするのはリスクが伴いますので、その辺りを念頭に読んでください。

千田有紀 作品の読み方っていうのはひとつきりじゃなくて、とても多様なわけですよね。作者の立場で考えてみるなら、作者が用意した唯一の正当なテーマなんて、読者が汲み取りきれないじゃない。まあカラスヤさんも作家だから多々経験されていると思うんだけども(笑)。
カラヤスサトシ やたら深読みされた書評を見て、僕がびっくりしたことはあります(笑)。
千田有紀 だけど、そういう多様な読み方すべてが正当ではないというか、間違っているということじゃないよね。「その作品がどのように消費されたのか捕捉していく」ということ……オーディエンス(聴衆・受け手)論が、新しい道を拓いてくれたように今は思うんです。それは決してCS(カルチュラルスタディーズ Cultural Studies=人文科学。引用元では「文化研究いろいろ」としている)だけの功績ではないんだけれど、面白いところだと思います。
(中略)
「読者や消費者が作品の有り様を決定する」という考え方は、歴史的に見ても最近までなかったのよ。特に文学の分野には、CS以前に読者論というジャンルは存在しなかった。
カラヤスサトシ たしかに文学研究といえば、たとえば「川端康成は生涯を通じて何を訴えたかったか」「『雪国』のテーマとは何か」といった作家論や作品論のように、作者の内面を推理して掘り下げていく方法が主流だったみたいですね。
(中略)
千田有紀 ポストモダン以前は「作者という神」が信じられていたからなんですよ。「読者は、正しい神さまが設定した正しい答えにたどり着かなければならないのだ」というように。
(中略)
そこでポストモダンがやってきて、読者はバラバラでいいんだと肯定されるようになったからこそ、「なぜ意見が食い違ってしまったのか」ということを焦点にしたオーディエンス論のようなCSも展開できるようになったわけですね。これは文学に限らず、表現の全ジャンルにいえることなんでしょうね。
喪男社会学入門 #7「カルチュラル・スタディーズgood!アフタヌーン#07 p868 千田有紀×カラヤスサトシ 漫画:カラヤスサトシ