The Structure of "Hayate the combat butler"

さて、ハヤテについてひとしきり語ってみたいとおもいます。


ハヤテは一般的にはラブコメ...というより、萌え漫画というカテゴリーで括られています。
この括りに異論を唱えるつもりは全くありませんが、単なる萌え漫画だと評価されることについては抵抗があります。
この漫画は単なる萌え漫画ではありません。
ロールプレイ」「カップリング」「ミスディレクション(ミスアンダースタンド)」を軸としてのキャラ描写に優れた、かなり戦略性の高い萌え漫画なのです。
この3つについて解説する前に、ハーレム系漫画について説明します。


1) ハーレム系漫画の戦略
以前ハーレム系漫画について軽く説明しました。同じことを書きます。
ハーレム系の漫画は、何もハーレム願望を満たす為だけに存在する訳ではありません。それもありますが。
昔はヒロインといえば一人でした。それが2人になって三角関係を描いていたのが、時代を経てハーレム系に発展いったと思われます。
その原因は、キャラの好みが時代を経るにつれ多様化し、これに対応した結果だと思います。


かつて理想の女性像と言えば大和撫子という言葉一つで説明が付きました。
どの時代から変わってきたのかは調査してないので分かりませんが、やがて『みゆき』のようなヒロインが二人いる漫画が出てきました。
この段階では大和撫子と、大和撫子とは正反対の活発なキャラがいて、どちらも好きだけど...といった葛藤を描くのがセオリーでした。
時代を経ることによってさらに多様性が増していきます。
漫画家がいかに萌えるキャラクターを生み出すか苦心したというのもあるでしょうが、時代の流れが多様性へと向かっていったのが
一番大きな要因だと思います。
アイドルでも某おニャン子とか、某娘。とか、某48とかやたらと人数が増えていく方向へと発展しています。
こうして極限までキャラを増やしていき、妹が12人いたりクラスの生徒30人くらいがヒロインだったり47都道府県に因んだキャラがいたり
といった新しいカテゴリー、ハーレム系漫画が生まれました。
wikiでは『天地無用!』をハーレム系作品の元祖としていますが、個人的には少なくとも『うる星やつら』の方が先では?と思ってます。


ハーレム系漫画は多様性の時代にマッチしてはいますが、キャラ数が多いため一人ひとりのキャラの掘り下げが不十分だという欠点があります。
なので、どうしても属性(眼鏡などの外見、妹などの肩書き、「にょ」などの口調)に依存し、その組み合わせで変化をつける、
つまり記号の組み換えで誤魔化す場合が多いように思えます。
デジキャラットが誤魔化してる作品だと言ってる訳ではないので念のため。(そもそもあのアニメ一回も観たことがない)
キャラが多いことは読者の趣味の多様性を担保するだけで、他の面では負担になってるのです。


2) ロールプレイ
ロールプレイ(Roleplay)とは基本的に「役割を演じる」という意味です。
ここではむしろ「キャラの多面性を引き出す」というニュアンスに近い意味で使います。
例えば弟に対してお姉さん的立場に、教師の前では生徒の立場に、M奴隷の前ではS女王様に(おい)といった感じで、
リアルの世界でもロールプレイは存在します。
ハヤテは萌え漫画のなかでもハーレム系漫画と呼ばれるカテゴリーに属してるが故にキャラクターが多いですが、
ここまでキャラクターにロールプレイさせてる漫画はないと思います。
他の漫画でも上にあげた例のような上下関係や、好きな相手だとか、主人公であればロールプレイさせますが、
ハヤテの場合はそれ以外の関係...ヒロインはおろか、サブキャラもきちんとロールプレイさせています。


例えばヒナギクの場合。
対ハヤテ ツンデレ的片思い
対雪路 妹だけど態度は姉
対生徒会三人娘 親友
初期のメインはこの3パターンでした。
これに加えて対薫は教師と生徒、マリアさん相手には生徒会長の後輩としての態度をとってますが、
この程度なら普通の漫画でもあります。


ヒナギクの関係からすれば、歩との関係が非常に重要でしょう。
最初は学園の生徒と似たような接し方でした。
そこからハヤテとを付き合ってると誤解されたのを解消するために一緒に泊まるというイベントが発生。
以後伊豆編や喫茶店のバイト、観覧車でのイベントを経て、ハヤテのことが好きだと唯一打ち解けられる親友に発展していきます。

とりわけ昨今の社会では、多くの男女は自分がいま持っている属性が安定的でないことを自覚しています。一流会社もいつ没落するか分からない。金もいつ失うか分からない。容姿の美しさや若くてピチピチといった付加価値もじきに失われる。当然ながら属性依存的な関係は、脆弱になります。


あれこれあって今がある、といった関係の履歴がかたちづくる入れ替え不能性−−関係の唯一性−−だけが、脆弱性の不安から人々を自由にします。「愛のセックス」における愛もいろんな位相がありますが、情熱から安らぎに至った末の「関係の唯一性」こそが、孤独な死から人を救うでしょう。
『日本の難点』 p42 宮台真司 幻冬舎文庫

これが、宮台氏が言うところの「関係の履歴」です。
ハヤテのごとく!』14巻 p95 畑健二郎


こうなると、ヒナギクは確かに「ツンデレ」というレッテルを貼られるキャラですが、誰に対してもツンデレ対応なキャラではなく、
微妙な立場の違いや関係の履歴を参照して、各キャラとの態度の違いが出る「ロールプレイ」をすることにより多面性を引き出され、
ヒナギクのキャラの深みが増し、テンプレート的なツンデレキャラからより個性的なヒナギクというキャラになっていきます。
若木先生の言葉を借りれば「記号からキャラへ」ですね。
ハーレム系漫画なので、ロールプレイをする対象には事欠きませんから、それだけ多面性を引き出すことができます
つまり、ハーレム系の欠点であるキャラが多いが故に各キャラの掘り下げが甘くなるという欠点を、
ロールプレイすることを通じて、逆に各キャラを掘り下げられる長所にしてる訳です。
この構造こそが『ハヤテ』の強みです。まぁキャラ多すぎな感はありますがねw


こういったキャラ同士の綿密な関係性を丁寧に描くのは、それが漫画のメインとなるキャラ漫画以外では難しいと思いますが、
少なくともこういう方向性を目指して欲しいものです。
キャラ漫画なのにも関わらずテンプレキャラを並べてるだけの作品もあるでしょうけど...ね。


3) カップリング
2) の補足になりますが、ロールプレイを演出するために必要な演出が「カップリング」(Coupling)です。
ここでは「キャラの組み合わせ」という意味で使います。
ハヤテの特徴として、ストーリーが進行していくにつれてグループ(コミュニティ)が増えたり減ったりする演出...
つまり、カップリングの変化が異様に多いです。
そもそも、ハヤテがナギに執事として雇われるというのも、言い換えればハヤテがナギのコミュニティに参加するというものですし。


例えば#236だと、最初はナギ、ハヤテ、マリア、ヒナギク、歩の5人のグループです。
ハヤテのごとく!』#236 週刊少年サンデー2009年37号 p189

この段階でストーリーの都合上邪魔になると思われる生徒会三人娘はオミットされています。
ハヤテのごとく!』#235 週刊少年サンデー2009年36号 p103

咲夜がミコノスへ到着していますし、伊澄は行方不明ですがこの後合流するんでしょうきっと。
ハヤテのごとく!』#235 p108

5人のグループからハヤテが一人物思いに耽り、ナギが咲夜の電話に出て、マリア、ヒナギク、歩の3人のグループになります。
ハヤテのごとく!』#236 p194

そしてマリアがハヤテに落ち込んでる理由を尋ねることによってハヤテとマリア、ヒナギクと歩のカップリングになります。
ハヤテのごとく!』#236 p195

さらにマリアは会話を聞かれてるのを分かってる(かもしれない)状態、ハヤテは何も知らない状態で、
ヒナギクと歩は前半が会話を聞いている、後半は聞いていない状態です。


こうしてカップリングに変化を付けることによって、各キャラのロールプレイの違いを表現しています。
カップリングに変化を付ける利点はもう一つありますが、解説は 5)ミスアンダースタンド で。


4) ミスディレクション
ミスディレクション(Misdirection)は直訳すると「宛名間違い」「誤った指図」といった意味ですが、
手品用語で「(観客の)意識を他へ誘導させること」という意味があります。
ここではミスリード(Mislead=誤った方向へ導く)とミスアンダースタンド(Misunderstand=誤解)を包括する意味として使います。
恐らく一般的な用法ではないので他所で自慢げに使わないようにw


漫画においてミスディレクションを使うパターンは主に3つです。
a) 読者にある推理をするように仕向け、実は違っていたというパターン。推理漫画などでよく使われます。
b) a)と基本的には同じですが、それまでの流れを急に変えてギャグにするパターン。
c) 対象を読者ではなく、キャラが対象になるパターン。


ハヤテでは a) のパターンはほとんど使われません。たぶん。
たぶんこのシーンくらいじゃないかなぁ。
ハヤテのごとく!』6巻 p134

これも後で神父がハヤテに種明かししますが、この段階でネタ晴らししてる点で推理漫画とは微妙に違った使われ方ですし。
謎を解く際に読者にミスリードさせ、読者の意表を突くパターンはおそらく皆無でしょう。
そもそも謎自体ほとんどないんですけどねこの漫画。


その代わり、 b)のパターンは頻繁に出てきます。
ハヤテのごとく!』#236 p191-192


まぁどこが面白いかという解説はしませんけどね。お笑いの説明ほどサムいものはないですし。
ミスディレクションと天丼(同じネタを繰り返すこと)と本歌取り(他の作品の引用)がこの漫画のコメディのパターンですね。


5) ミスアンダースタンド
c) 対象を読者ではなく、キャラが対象になるパターン。要するに「誤解」です。

恋は誤解から生まれ 愛は理解から生まれる

誰が言ったのかは知りませんがこういう言葉もあるくらい、本来恋愛において誤解は重要なエッセンスなんでしょう。
この誤解もハヤテでは頻出します。
そもそも出会いからして誤解の連続でしたし。
ハヤテのごとく!』1巻 p28

初めから誤解がなければそれで話は終わりますが、誤解があればそれを解くことでネタが出来ますし、解くのに失敗することも出来ます。
さらに誤解を深めるネタでもイケます。


3) のカップリングもこの誤解を活かすために必要な演出です。
なぜなら、カップリングを変えることによって情報に差をつけることが出来るからです。
例えば上の画像の台詞はマリアさんには誤解が解けましたが、ナギには誤解されたままです。
情報に差が出るということは、対応にも差が出るということになります。
ハヤテのごとく!』1巻 p78

対応に差が出るということは、2) のロールプレイに影響が出ることであり、誤解を基にしてキャラ描写が多様になることへと繋がります。
つまり、「ロールプレイ」も「カップリング」も「ミスリーディング(ミスアンダースタンド)」も、
全てはキャラの描写をより深く掘り下げ、魅力的なキャラを表現するための手段なのです!


まぁ作者がこういう理論で書いてるかどうかは知りませんけどねw
ナチュラルに描いてたらこう分析できるような感じになっていた、の可能性が高いとは思います。
何にせよ、これで『ハヤテ』が単なる萌え漫画ではないということが伝わったでしょうか?
だからと言って、『ハヤテ』を面白いと感じるかどうかは人それぞれですがね。


補足:この3要素はハヤテオリジナルだと言うつもりは全くありません。
師匠の漫画も「誤解」の要素は千里くらいですが、他の2つは割と満たしてます。
例えば赤松健先生の漫画にもこういった演出があって、『ハヤテ』がそれを参考にしてるだけかもしれません。
赤松健先生の漫画読んでませんからねw
もしそうだった場合は赤松健先生すげーってな話に置き換えてください。