「性愛」格差論―萌えとモテの間で 斎藤 環, 酒井 順子

基本的にサブカル系のみのblogですが、『電波男』に関する批判が書いてあるのでその辺りについて考察します。

一方、おたくの側には『電車男』を批判する人もいます。電車男がおたくを捨てて、エルメス(ヒロイン)に気に入られるように努力したことは、「恋愛資本主義」への迎合だというのです。こう主張するのは、本田透さんの『電波男』です。
(中略)
本田さんには「ヘテロ」(異性愛)な関係と、おたく趣味は両立しないという非常に強固な確信があって、ヘテロに行くということは、要するにアニメを捨て、ゲームを捨て、フィギュアを捨てるという生活に他ならないと思い込んでるところがある。
だから、もし本田さんに結婚したい彼女ができたら、彼の「芸風」は成り立たなくなってしまいます。今後も貞操を守らざるをえないし、いろんな意味できつい状態になってしまっていて、お節介ながらちょっと心配です。

まぁ私も、支持してくれた人への裏切りだとか思わずに、付き合える人ができれば付き合った方がいいとは思いますけどね。
電車男とは逆に、相手に気に入られるように努力させれば拍手喝采だろうと。それこそがおたくの勝利です。


神のみぞ知るセカイ 4巻123p

いずれこの辺りは神セカについて書いた時にでも触れようかと思います。

僕にはそれほどとは思えないけれど、酒井さんのいる「恋愛資本主義」の世界は、本田さんからすれば本当に「文化が違う」と言えるほどのギャップがあるんでしょう。実際、臨床を通じての印象からすると、いまの若者の趣味的な棲み分けは、相当早い段階から分岐しているように思います。趣味の違う人同士の間では、ディス・コミュニケーションが中学生くらいから始まってしまっているのです。

この二つの世界に共通する、もしくは橋渡しできるような何かを社会として用意できるか、というのが問題だと思いますね。

彼は非常に頭がよくて、思い込みの誤読芸を売りにしているところがあるんですよ。ウェブサイトに掲載されている批評文などを見ても、すごく暴走した陰謀説とか、新左翼っぽい評論をエンターテインメントとして書けてしまうんですね。

この芸風は最近打ち切りで話題になった『誠のサイキック青年団』、特に竹内義和さんの影響が大です。

大映テレビの研究

大映テレビの研究

本人があまり口にしないこともあってかあまり知られてないようですが(今残ってるしろはたではこの部分くらいしか見当たらない)、彼は元サイキッカーです。
とは言え大学入学前までだと思われるので、ごく初期の頃しか聴いてないと思われますが。
「あの当時、関西人のしろはた読者内のサイキッカー率はたぶん高かった」というのは、恐らく「日刊アスカ」が連載される以前は「しろはた」の存在がまだあまり知られておらず、サイキックメーリングリストの署名に貼られていたurlからとんだ人の割合が高かったからだと推測します。
サイキッカーの雑談部屋からもとんでたかもしれません。
当時のサイキックMLは、某インディーズバンドのボーカルの人、徳島在住の産婦人科医と、本田透センセイの書き込みが多く、その中でも本田透先生の書き込みは白眉でした。あの時のログが残っていればなぁ...
しろはた」もオリックスの馬場に関する記事が素晴らしかった。
私はEVAを見ていないので「日刊アスカ」が始まってからはあまり見に行かなくなりましたが...その頃から本田透先生はMLから姿を消したような記憶があります。
ちなみに、『駒木博士の社会学講座』の駒木博士も元サイキッカー。彼とはリアルで一度会ったこともあります。


サイキックの特徴は、一般的には過激な暴露で顰蹙を買う番組、というものかもしれません。
しかし本質は一旦全てを疑った上で邪推を重ねていく、懐疑主義を土台にした陰謀論
言い換えると、真実ではない部分をどんどん削った後に、真実かもしれないものをどんどん積み上げていくような感じでしょうか。
元の内容と最後に構築されたものとのギャップを楽しむ。これこそがサイキック的手法だと自分では理解しています。
それが「すごく暴走した陰謀説とか、新左翼っぽい評論をエンターテインメントとして書ける」原因ですね。
この芸風を私も踏襲してるつもりですが。